養老元年(717年)、泰澄大師が白山に登拝のためこの地を訪れたとき一林泉を発見し、ここに神社を建てられました。白山への登拝口の山岳寺院として栄え、最盛期には48社36堂6千坊の隆盛を誇っていましたが、天正2年(1574年)に一向一揆との抗争に敗れ、全山焼亡してしまいました。
その後、境内の主要部分は復興されましたが、坊院の多くはそのまま山林や田畑の下に埋もれることとなりました。
平成元年から始まった発掘調査が進む中、坊院跡の石畳道にも見られるように中世の平泉寺が一大「宗教都市」であったことが分かってきました。今もなお、歴史の香りが残り、美しい自然のすがたをとどめています。
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