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「サギッチョ」への想い

印刷用ページを表示する 更新日:2018年9月19日更新

短冊が揺らめく本町通り 明るい空に色とりどりの短冊がきらめく。町なかに張り巡らされた短冊の輝きは、ことさら厳しかった勝山の冬の終わりを告げ、ようやく訪れる春の喜びに溢れているようだ。
 今週の土・日、勝山の人たちが「サギッチョ」と呼ぶ勝山左義長まつりが開かれる。およそ350年前というから、徳川幕藩体制が安定し、勝山小笠原藩の「まちづくり」もようやくかたちづくられ、藩も町も住民にも余裕が出てきた頃に、元来、小正月の火祭の行事であった左義長が、庶民が楽しむ祭りとなって発展し、勝山の伝統行事として、今日まで伝えられてきた。

 私にとって子どもの頃から、「サギッチョ」に思い浮かぶものは、やはり「勝山の春」に凝縮される。住まいが旧市街地のはずれにあるため、年番の人たちの短冊の縄を張る作業が、町なかのほうから次第に家の前までやってくるのを心待ちにしていた。
 赤・黄・緑の鮮やかな色合いの短冊が手の届くところまで張り巡らされ、白銀の山を背景にして陽光にキラキラ光る輝きは、まさしく春の讃歌そのものだった。当日になると、やぐらの笛や太鼓の音が、風に乗って切れ切れに聞こえてくる。「蝶よ花よ、花世のねんね」の唄と軽やかな太鼓のリズムに、冬の寒さに耐え、硬く固まっていた体と心が次第に解きほぐされていくような気分になる。
 日本の太鼓の響きは、鼓舞する威勢のいい太鼓と、触れ太鼓のように軽やかな太鼓に大別できるが、「サギッチョ」の太鼓は、浮かれ太鼓ともいえるものだろう。やぐらの上で笛と鐘、三味線のお囃子で、たたく打ち手は、「地」と「浮き」の役割があり、「浮き」が主役となって独特の表情や仕草を交え、踊りながら浮かれたたく。

お囃子の様子 打ち手は、永い間、伝統的に赤い襦袢を着た男の役であったものが、昭和40年代から各やぐらが立つ町内で小学生に太鼓の打ち方を教えはじめ、子ども太鼓が盛んになってきたため、その子たちが大人になって打ち始めた今、女性の打ち手も多くなっている。また、元来、旧町内の商家の町の催し物であったものが、勝山各地の保育園や幼稚園でも太鼓を教え、小中高校でも盛んになって、「サギッチョ太鼓」の打ち手や囃し手は、以前より、勝山全域に広まりを見せている。さらに左義長保存会の活動によって、従来、芸子さんの役であった三味線が地区に関係なく女性に広まって参加が増え、笛も加わってその役を受け継いでいる。打ち方も、伝統の基本を踏まえてアレンジにも工夫を凝らし、若い人たちのレベルも確実に上がってきており、私には近年、芸術性さえ感じられる。

 今、日本各地で、伝統文化が途絶え、無くなっていくことが危惧されている。地域が今ここにあるのは、その自然、風土の中で育まれてきた人間が、長い時間をかけてつくってきた歴史そのものであり、その営みの中から生まれた文化が「ひと」を育て「まち」をつくってきた。

 伝統文化は、食にしても行事にしても、その町の「根」と同じだと思う。根が無ければ町は育たないし、生きていけない。幸いにして勝山には、「サギッチョ」に代表されるように、各地にしっかりとした「根」が残っている。枯れかかったり元気が無かった木にも、根に水をやり、養分をあたえれば元気になって、再び芽を出し、葉が茂ってくる様子が見えてきた。心強い思いだ。
 26日の夜、白い雪原を彩るドンド焼きに、五穀豊穣を祈るとともに、夜空を焦がし燃え盛る炎に市民の活力の高揚を祈ろう。