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食への思い

印刷用ページを表示する 更新日:2018年9月19日更新

 私の祖父は、明治30年生まれだった。その祖父から、「若い頃、福井のレストランで初めてライスカレー(昔はカレーライスとは言わなかった)を食べて、世の中にこんなうまいものがあるのかと感激した」という話を聞かされたことを思い出す。

 明治の終わり頃の日本人の味覚からは、考えられない未知の味覚であり、新たな食への憧憬とともにその驚きは忘れられないものだったのだろう。

 戦後食糧難の時代に育った私自身も、そのような味覚体験は少なくない。ハーシーズのチョコレートは父の出張の最高のお土産だったし、クリスマスケーキの一切れや、バナナのほんの一切れが、憧れのおやつだった。

 今は難無く手に入る食べ物が、当時ではまれにしか食べられなかったという理由は輸入物が高価であったことのほか、野菜や果物の収穫期が季節によって限定され、冷凍技術が乏しかったので保存ができなかったことにあった。
 

 今や輸入は自由になり、生鮮食品なども生産・輸送・保存などの技術革新は目覚ましく、いつでもどこでも食べたい物が手に入るようになっている。

 それだけに夏のトマトや、きゅうり、スイカなどのように、旬の味覚がその季節の到来を知らせてくれる機会が一般的に少なくなった。

 しかし今、勝山に住む私は、春夏秋冬を旬の味覚の恩恵の中で暮らしている。

ふるさと料理の写真
地場産の材料を使ったふるさと料理

 春一番を感じる味は何と言っても「勝山水菜」であり、フキノトウを採ってきて湯がいて食べるのも楽しい。コウナゴが加わると一層春の味が華やぐ。新緑になればワラビやゼンマイ、ウドやタラノメなどの山菜。夏にはトマトなど新鮮な夏野菜とアユ。秋は新米や新ソバは言うに及ばず、トウモロコシ、サトイモ、山の芋。冬には白菜やニシン漬、鯖の熟れずしなどの発酵食品がおいしい。

 地産地消が言われ始めて久しいが、日本各地の旬の味はその恩恵の典型的なものだろう。明治の日本人がエスニックな美味に驚嘆し、豊かな食として憧れたように、豊穣さに倦怠したこれからの日本人は、その地方でしか味わえない新鮮な旬の食に、改めて価値を見出し、新たな食の豊かさに惹かれるに違いない。

 私は最近、人間本来の食生活への回帰は、農耕民族である日本人のDNAが作用しているのではではないかと思っている。そうであれば地産の食への嗜好は根源的なものであり、体が求める健康食としても納得がいく。

 やがて到来する新緑の季節を前に、めぐり来る旬の味への期待が高まる。大事にしたい日本の食文化だ。 

(機関誌 「国保ふくい 2010春号」に寄稿 2010年3月15日)