
平泉寺は白山の登拝口に開かれた山岳寺院である。中世には、白山信仰の拠点寺院・天台宗の巨刹として多数の僧兵を擁し、勢力を振った。最盛期には、四十八社、三十六堂、六千の坊院が寺内に存在していたといわれている。天正二年(1574年)に一向一揆との戦いに破れ全山焼失した。その後、中心伽藍は再興されたものの、多数の坊院は山林や田畑の下に埋もれている。明治初年の神仏分離令に際して、平泉寺は白山神社となった。なお、平泉寺集落内に残る屋敷割りの多くは、中世の僧坊を囲んだ石垣がそのまま利用され、当時の面影が偲ばれる。
員 数 |
指 定国 |
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種 別史跡 |
時 代古代~近世 |
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管理者勝山市 |
所在地勝山市平泉寺町平泉寺 |
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指定年月日昭和10年8月27日 |
指定番号 |