平泉寺は、霊峰白山(標高2702m)の越前側登拝口に開かれた白山信仰の拠点寺院で、今から1300年近く前、泰澄によって開かれたと伝えられます。
中世には北陸でも有数の勢力を有するようになり、現在の白山神社よりもはるかに広大な境内に、数十の堂や社、数千におよぶ坊院が建ち並んでいたといわれます。
ところが、天正2年(1574)、一向一揆との戦いで全山が焼失し、往時の姿を伝えるものはほとんど失われてしまいました。
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写真:平泉寺白山神社拝殿
平泉寺は、霊峰白山(標高2702m)の越前側登拝口に開かれた白山信仰の拠点寺院で、今から1300年近く前、泰澄によって開かれたと伝えられます。
中世には北陸でも有数の勢力を有するようになり、現在の白山神社よりもはるかに広大な境内に、数十の堂や社、数千におよぶ坊院が建ち並んでいたといわれます。
ところが、天正2年(1574)、一向一揆との戦いで全山が焼失し、往時の姿を伝えるものはほとんど失われてしまいました。
写真:発掘調査風景(平成元年)
坊院(僧侶の屋敷)の出入口と石畳道が見つかりました。
しかし、平成元年から始まった本格的な発掘調査によって、かつての境内の遺構が見事に残っていることが判明しました。栄華をほこった中世平泉寺の全容が、いま、少しずつ明らかになりつつあります。
国史跡白山平泉寺旧境内
文部省(昭和10年) 指定範囲は、平泉寺白山神社境内(約14.6ha)で、名称は「白山平泉寺城跡」
追加指定(文化庁 平成9年) 白山神社境内周辺部(平泉寺北谷と南谷を含む地域)を追加し、名称も変更(指定面積は200haに)
白山国立公園
環境省(昭和37年) 白山を中心に平泉寺まで含んだ47,700haの国立公園
日本の道百選
国土交通省(昭和61年) 中宮平泉寺参道
歴史の道百選
文化庁(平成8年) 越前禅定道(平泉寺と白山を結ぶかつての参詣道)
かおり風景百選
環境省(平成13年) 平泉寺白山神社境内
美しい日本の歴史的風土百選
(財)古都保存財団(平成19年) 国史跡の範囲
写真:平泉寺と白山
白山(標高2702m)へは、平泉寺(福井県)、白山本宮(石川県)、長滝寺(岐阜県)をそれぞれ起点とする三筋の登拝道がのびていました。
写真:越前禅定道
「越前禅定道」と呼ばれるこの道は、現在の白山神社の三宮裏手を起点に、三頭山(標高777m)、稚児堂(児卒都婆跡)、法恩寺山頂(法音寺跡:標高1337m)、小原峠、三ツ谷、市ノ瀬などを経て、現在の観光新道に近いルートを通り、室堂から白山頂上に達したようです。
その途中には、さまざまな宗教施設が設けられ、行場や宿泊所を兼ねた多くの室など数多くの遺跡が今も残されています。