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勝山市の沿革について

印刷用ページを表示する 更新日:2018年9月19日更新

 本市には、古く旧石器時代から九頭竜川の形成した河岸段丘上に人々の住んでいたことが近年の発掘調査によって明らかとなっています。

 縄文時代になると市内各地で生活の跡が確認されています。奈良時代に、越の大徳と呼ばれた泰澄大師により開かれたと伝えられる白山中宮平泉寺は、白山信仰の一大拠点として最盛時には48社36堂6千坊を誇りました。そして、越前文化の中心的存在として商工業が繁栄し、文化も大いに高まり栄えましたが、天正2年(1574)、一向宗徒の焼き討ちにより一夜にしてその栄華を失いました。

 その後、柴田勝安が一揆を鎮め、袋田村に勝山(袋田)城を築きこれを統治しました。勝山の地名は一揆勢が立てこもった御立山(通称村岡山)を「勝ち山」と呼んだことから起こったといわれます。
 元禄4年(1691)に、小笠原氏が入封し、明治に至るまで藩政が続きました。廃藩置県後、機業が勃興し、羽二重を中心とする絹織物の製造が盛んになりました。さらに昭和初期には人絹織物の導入によって織物立国を形成しました。戦後は、設備の近代化、技術革新により高級合繊織物の一大産地として国内外に知られています。

 行政の組織は明治の市制町村制により現市域内に1町9箇村が誕生しました。その後猪野瀬村が勝山町に編入合併され、昭和29年(1954)9月1日、町村合併法により、勝山町、平泉寺村、村岡村、北谷村、野向村、荒土村、北郷村、鹿谷村及び遅羽村の1町8箇村が合併し市制を施行しました。これにより、人口39,043人の勝山市が発足しました。

 昭和63年(1988)に、手取層群の1つ北谷町杉山で、1億2千万年前の肉食恐竜の化石等が発見されて以来、この地域一帯は全国でも貴重な恐竜化石の宝庫としてクローズアップされています。平成12年に福井県立恐竜博物館が開館し、平成18年6月には入館200万人を達成、平成19年には、日本で初めて恐竜の皮膚痕化石が発見され話題となりました。

 まちづくりの面では、平成14年に「勝山市エコミュージアム推進計画」を掲げています。これは、まち全体を『屋根のない博物館(ふるさと元気博物館)』とする構想で、市民が自らのまちに愛着を持ち、自然、歴史、伝統文化、あるいは産物、人的ネットワークといった地域の資源を再発見し、それらの新しい価値を見つけ発展させ、地域の誇りと元気を取り戻す計画です。平成17年にはエコミュージアムにもとづく勝山市の地域再生計画が国の認定を受け、エコミュージアム実践プロジェクトを具体化し、地域の活力の再生につなげていくことをめざしています。平成18年には、史跡平泉寺を含む「霊峰白山と山麓の文化的景観」を世界遺産の暫定リストへの登録申請を行いました。

 福祉の面では、勝山市の高齢化率が28.1%(平成17年国勢調査)と高齢化が進んでいるなか、平成17年に福祉健康センター「すこやか」がオープンし、市民の地域福祉活動と健康づくりの拠点として親しまれる施設の充実を目指しています。

 また、平成21年7月に国の近代化産業遺産に指定されている、「はたや記念館ゆめおーれ勝山」がオープンしました。繊維の歴史博物館の機能を持つとともに、市民の交流の場であり、観光の情報発信基地として、さらにはまちなか誘客の起爆剤として期待されています。