櫓(やぐら)

櫓(やぐら)

櫓(やぐら)とは

明和元年(1764年)の史料の中で「櫓」は「左義長櫓」とあります。同史料に殿様が寺参りをするのに、通行の邪魔になるので櫓を取り壊すように命じられています。寺は開善寺と思われますが、どの道を指しているのか不明です。(殿様は5代藩主小笠原信房)。明治16年(1883年)の史料に初めて(路上)太鼓櫓と書かれています。櫓は各町内ごとに建てる場所が決められていました。ただし葬式・お産など穢れが出た際や、急病人が出ると変更されました。櫓は、普段は保管されていて、祭礼前日に組み立てられました。櫓は当所どれだけ建てられたかは不明です。明和元年(1764年)に5か所で建てられ、以後その数は増えていきました。現在は12基です。

櫓(やぐら)
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