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勝山の主な歩み(~江戸)

印刷用ページを表示する 更新日:2018年9月18日更新
  • 717年(養老元年)…泰澄大師が平泉寺を開山
  • 1574年(天正2年)…平泉寺、一向一揆により全山焼失
  • 1580年(天正8年)…柴田勝安は村岡山から袋田村に移り、現在の市民会館の地に勝山城築城
  • 1583年(天正11年)…柴田勝安は賎ヶ岳で討死、その後丹波長秀の重臣成田重正が勝山城に入封
  • 1601年(慶長6年)…福井藩領となり、家臣林長門が勝山城代
  • 1615年(元和元年)…勝山城は一国一城令により、取りこわし
  • 1686年(貞亨3年)…福井藩減封により、幕府直轄領となり勝山陣屋が置かれ、三人の代官を配置
  • 1691年(元禄4年)…勝山藩主(2万2,777石)として小笠原貞信、美濃高須より移封
  • 1709年(宝永6年)…幕府より築城の奉書が出され、築城に取り掛かるが本丸のみ完成(再建)
  • 1771年(明和8年)…五代信房築城を再開、ニノ丸土居と堀を築き、ここに居館を移動

  財政建て直しのため税制の改正をはじめたので、領内に百姓一揆が起こり、これを中止

  • 1793年(寛政5年)…六代長教、ニノ丸櫓台、三ノ丸土居と堀を築造
  • 1822年(文政5年)…勝山城御殿より出火、門・土蔵・高塀を残して全焼
  • 1823年(文政6年)…勝山城は町・郷からの見舞金で復興、瓦と桧皮葦の御殿が完成
  • 1826年(文政9年)…七代長貴築城再開、北側の堀を掘り、東の土居、櫓台を築きニノ丸完成
  • 1841年(天保12年)…秦魯斉の進言と家老林毛川の努力により、読書堂(翌々年成器堂と改称)を建設
  • 1853年(嘉永6年)…勝山藩「煙草改会所」を設置

※「勝山市のすがた」から主なものを抜粋しています。

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