オレ様は、恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークで
発見されたフクイラプトルという恐竜で、
名前はキング・カツ。
発見された時は、骨だった。
しかし、今日は復元された格好で、
オレ様が、みんなに勝山ジオパークの見どころを
案内するぜ。
フクイラプトルのキング・カツ
©Katsuyama Hokubu junior high school
※このキャラクターが、「恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク」をご案内します。
オレ様は、福井県立博物館の学芸員さんの手によって再び地表に出てきたんだ。
地表に出てきたときは、オレ様が骨になるまでの景色とまったく違っていて驚いたぜ。
オレ様が骨になるまでは、とても広い大地に大きな川があったんだ。仲間といっしょに歩いたり、走ったりしていたんだ。しかし、発見されたところは山にかこまれ、小さな川が流れていた。勝山市北谷町杉山、まさにオレ様が見つかったところだ!
オレ様が見つかった北谷町杉山というところは、見てのとおり、周囲には杉がたくさんはえている「杉山」とはうまく名前を付けたものだ。関心するぜ!
昔、ここは農業や林業をしていた人か釣り人しかこなかった場所だ。
正直、いつ化石になったかは覚えていない。オレ様の記憶が正しければ・・・、
オレ様が眠っていたがけでは、白、黒、茶色などのしましまの地層が見えるぜ!(恐竜化石発掘地)
オレ様が暮らしていた大陸は、今よりも暑く、ソテツなどの裸子植物やシダ植物がもじゃもじゃとはえていた。よく「花は見たことあるか?」って聞かれるけどほかのやつらも見たことがないんじゃないかな?
ある大雨の日、獲物を追いかけているとき、大きな川の上流からいきなり土や砂の混じった大水が流れてきたんだ。気が付けば土の中に眠っていた。その時、死んだんだって感じたよ。
眠ったあとも何回も同じような大洪水があって、オレ様のいた地層の上に、フクイサウルスやフクイティタンが流されて、土の中にとじこめられていたよ。あと、羽毛のはえた仲間もいたような気がするが、名前を思い出せないから、思い出したらこんど教えてやるよ。
ふくい勝山の恐竜たちだ!左から、オレ様、フクイラプトル。おとなしいイグアノドンの仲間のフクイサウルス。首の長い竜のフクイティタン。そして、羽毛を持っていた可能性があるドロマエオサウルス類、まだ名前は付いていない。
しばらくして、オレ様は眠っている自分の体が動いていることに気付いた。
それは、体が動いているのではなく、今考えたら大地が動いていたんだ。
あとから思うに、大地の動きは「日本海」がつくられていた頃に違いない!
大地が動くことによって、「日本海」という海ができたんだ。地球ってすごい!勝山も日本海ができるまでは、大陸にくっついていたんだ。
その大地が動いたことにより、中国大陸の東のはしにいたたくさんのオレ様の仲間は、今ある日本列島に散らばって眠っている。
だから、となりの白山手取川ジオパークや天草御所浦ジオパークなどからもオレ様の仲間が見つかっているんだ。
オレ様の仲間たちは、オレ様と一緒に銀色のタマゴのかたちをしている福井県立恐竜博物館の中の「福井県の恐竜コーナー」に展示されている。
一度と言わない、何度も見に来てくれ!
福井県立恐竜博物館には、ふくい勝山のスーパースターの恐竜たちや世界の恐竜たちが展示されているぞ!
(福井県立恐竜博物館)(福井県立恐竜博物館)
ハンマーとタガネを使って、いろんな化石を見つけてくれよな。(かつやま恐竜の森)
かつやま恐竜の森の「どきどき恐竜発掘ランド」では、化石発掘体験を行われているんだ。オレ様の仲間の恐竜の化石もときどき見つかるみたいだから、キミたちもがんばって探してみてくれ!化石らしきものが見つかったら、やさしいおねえさんやおにいさんに聞くといいかもよ。
さっき、中国大陸から大地が動いてできた日本海の話をしたと思うが、日本海はこの勝山のジオパークにもいろいろな影響を与えている海だ。
冬に雪が降ることもこの日本海が関係しているのを知っているか?
勝山は、オレ様が暮らしていた大陸の方向から吹く冷たい風が、暖かい日本海の暖流上を通って高い山々にあたるから雪がふるんだ。
冬は勝山でスノーボードを楽しんでくれよな。オレ様はできないけど…(スキージャム勝山)
勝山のジオパークにあるスキージャム勝山や雁が原スキー場でスキーやスノーボードができたり、雪あそびができるのも、春夏秋冬の四季を感じることができるのもこの日本海のおかげだ。知っといたほうがいいぜ。
そうそう、あと、オレ様が眠っている間に何度も危ない目に遭ったぜ。
もう少しで焼けこげそうになったことがあるんだ。
それは勝山のまわりにある経ヶ岳や法恩寺山、取立山、赤兎山などといった火山がドカドカと噴火していたことだ。
勝山は火山だった山々に囲まれているんだ。
縄文人たちは、石の性質をよく知っていたんだ。えらい!(黒くてかたい火山の石と石器)
オレ様の寝ているボーンベッドの横を、地下深くから熱いマグマが・・・危うく丸焦げ・・・危なかったぜ。
法恩寺山のなだらかなスキーゲレンデは、法恩寺山から流れ出た溶岩によってできているんだ。知っていたか?大阪や名古屋から来るスキーヤーは、溶岩でできたゆるい斜面を滑ってるんだ。知らない人がいたら教えてやってくれよ。
今、山の頂上から見えるスキーコースみたいに溶岩も流れていたかもしれない???
その溶岩は、黒く硬く、鋭く割れることから、勝山の人たちの先祖である縄文人たちはそれを加工してやじりやナイフなどに使っていたんだ。
次に、大きな山くずれと大きな岩の話をするぜ。
平泉寺町大矢谷の白山神社には、高さ20mを超えるとても大きな岩のかたまりがあるんだ。
この巨大な岩の重さは、なんとスペースシャトル3機分あるらしい!?(大矢谷白山神社)
この巨大な岩は、もともとは経ヶ岳という山の一部だったものが、地震か何かが原因で、山の頂上からくずれてきたものなんだ。
その現象を「岩なだれ」とか「岩屑なだれ」っていうから覚えておくといいぜ。
最後に、勝山の「まちなか」のことを紹介するぜ。
勝山のジオパークには、なんで九頭竜川に向かって坂道が多いのか知っているか?
オレ様の全長4.2mより高い九頭竜川がつくったがけ(七里壁)
それは、九頭竜川のはたらきと土地の盛り上がりによってつくられたもので、平らな面とがけが順番に続く階段のようになっている。これが「河岸段丘」 だ!
九頭と平行にのびているがけは、勝山の人からは「七里壁」って呼鳴鹿というところまで、途切れ途切れに約20キロメートルも続いている。おどろきだぜ!
勝山の人たちは階段のような地形の上に住んでいるんだ!
勝山の人たちは、大昔から河岸段丘という地形の上で、生活をしているんだ。
お殿さまがいた江戸時代の頃には、七里壁の上の平らな面にお殿さまのお城、下の平らな面に商人や寺などが建てられ、まちづくりにも利用されていたがけなんだ。
見ているだけでも楽しそうな祭だ!左義長まつり。
毎年2月最終週に行われる「勝山左義長まつり」というまつりがあるけど、最初はこの七里壁の下の平らな面で町人の人だけが行っていたまつりなんだ。
その河岸段丘と関係するもので、勝山にはまちの中に、水が湧き出ているところがある。
みんなからは、「大清水」と呼ばれている。
今でもヤカンを冷やしている大清水は自然の冷蔵庫だ。(大清水)
河岸段丘の上の階の平らな面からしみ込んでくる雨水や川の水ががけを伝って、その階段のような地形の一番低い平らな面のがけのところから湧き出ているものだ。
昔は、あちこちにこのような湧水があって生活用水やお酒をつくる水として利用されていたんだよ。
夏は冷たく、冬は暖かい水。今もスイカやジュース、ヤカンに入ったお茶を冷やしている人たちがいるぜ。
勝山のジオパークは、「恐竜はどこにいたのか?大地が動き、大陸から勝山へ」を大きなテーマにしていて、今日、みんなを案内した場所のほかにも、オレ様が中国大陸で暮らしていたころから、勝山で発見されるまでの間の地球の活動や勝山の人たちの歴史などが学べるいろいろな見どころや楽しめるところがあるから、一度、ジオツアーに参加するといいぜ!
ちなみに、オレ様は、福井県立恐竜博物館には展示されていないから探さないでくれ!
では、また会おうぜ!
※みなさんを案内してくれた恐竜キャラクターは、勝山市立北部中学校の生徒さんが作成した「キング・カツ(勝)」というキャラクターです。