赤襦袢・絵行燈

赤襦袢・絵行燈

赤襦袢

太鼓を叩く若者が赤襦袢を着ていますが、櫓で赤襦袢を着られるのは、一人前の男として認められ、青年会の一員として櫓に上ることを許された証であり、左義長伝来の一つの儀式でもあります。

絵行燈

後燃やし江戸時代より始まり、藩主が「無礼講」として庶民の気持ちを、古川柳や狂歌(滑稽を詠んだ卑俗な短歌)に託すことを許しました。町内の辻や櫓のまわりに絵行燈が掛けられました。
行燈には、世相風刺・狂歌・行政・観光・駄洒落を織り交ぜて庶民の願望が描かれています。
櫓の両正面下に掛かる大行燈には狂歌を主体として行政問題、世界の話題や吉祥干支にちなんだ句と絵が書かれています。絵行燈コンクールの歴史は意外と浅く、昭和60年(1985年)が第一回です。

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