三町芸

三町芸

三町芸とは

「三町芸」(左義長芸)とは、素人が演じる歌舞伎や能・狂言、踊りなど、それぞれの町内が工夫を凝らした出し物を指しています。踊りに関しては近代の史料に「放楽踊」などとも見えています。芝居好きの若者たちが中心となり、芝居や、扇踊りを披露し三町で競ったのです。
明和3年(1766年)に伊勢松様(6代藩主小笠原長教の幼名)が神明下の茶屋弥次兵衛前、追手坂下の安田十兵衛前、後町の室屋津兵衛前、尊光寺前の亀甲屋小右ヱ門等の2階座敷より、三町芸をご覧になりました。
また左義長の際は安田十兵衛宅が本陣となり殿様・藩の重臣の接待場所となりました。明和4・5・6年にも見物され、6年には観覧の後に、それぞれ本陣や宿となった家に金三百から二百疋が下されています。
明治16年(1883年)、大野警察署勝山分署に、路上太鼓櫓建設願・竹木等焼捨願・路上餅渡台取設願・放楽手踊興業願があわせて提出されています。櫓には、屋根がないため、放楽踊興業は雨天中止と書かれています。
大正13年(1924年)、上袋田区や下袋田区、下後区の三町芸が最後となっておりだんだんと廃れてきたことが分かります。昭和30年代(1955年~)には、子どもの手踊りや漫才が櫓の上で披露され、楽しみの少ない時代で大層人気であり、流行歌手らも来て黒山の人だかりでした。

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