色短冊とは
江戸時代から明治の中ごろまでは、二尺(約60センチメートル)程の松の小枝に赤く染めた紙の短冊をくくりつけ、各家々の軒先に飾られました。現在のこのきれいな短冊は、左義長が鎮火祭と関係の深いことから、明治のおわりごろ、五色組飾り纏の色に変えられたと伝えられています。
左義長が鎮火祭とも言われるように、左義長と火事とは深いつながりがあったと思われます。
火消の制度は小笠原氏の入封のころから始められ、以後幾度かの変更がなされ、弘化2年(1845年)8代藩主小笠原長守のときに青・黄・赤・白・黒の五組に編成されました。
その後も「いろは組」「天地人組」など三組に、そして明治16年(1883年)に再び五色組と改められました。
各区短冊の色は、藩から拝領した飾り纏の色がルーツと言われています。昭和の初めごろから、軒下から町中の通りにつるようになりました。